心に思うことを写真と一緒に綴っていきます


by hayenokaze
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玉璧

西都市の県立西都原(さいとばる)考古博物館で展示されている、串間市出土の玉璧、ようやく最終日の今日、見ることができた。

この玉壁については、ここの「玉璧 串間出土説の謎」を読んでいただくとして、私も故郷串間で出土したと言われる玉璧があることは知っていたが、実物を見るのは始めて。
普段は、東京の「公益法人前田育徳会」に保存されているため、見ることは叶わない。
前々から、ぜひ一度実物を見てみたいと思っていた。
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串間市出土の玉璧


見た瞬間、「大きい」が第一印象である。
同時に展示されている台湾出土の玉璧と比べても、一回り、いや二回りは大きい。
そして、「キレイ」だ。
欠けたり痛んだところがなく、これこそ「完璧の語源」どおり、まさに「完璧」だ。
しばしのあいだ、飽くことなく見つめていた。
d0059213_2291096.jpg

台湾出土の玉璧


国宝級と言われるこの玉璧が、なぜ串間から出土したのか。
もう一つの歴史的出土品「明刀銭」ともに、歴史的ロマンへの想像(=空想?妄想?)は膨らむのである。
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Commented by 秀緒 at 2009-12-14 00:07 x
ふ~~~ん。。。

串間で発掘されたのは間違いないんだネ^^
だけど、誰の石棺で、どんな身分の副葬品かもわからないんだ。。。

ロマンぢゃないかァ~^^
これは謎が謎を呼ぶぞな。。。なぞ。。。^^;
Commented by hayenokaze at 2009-12-14 02:16
秀緒さん
リタイアしたら、本格的に究明してみようかと思っています。
玉璧に明刀銭、本当に大きなロマンを感じますね。
Commented by 雅人 at 2009-12-14 10:28 x
 ロマンですねー。
 穂佐が原付近ではあの足利尊氏(だったとおもう)も追っ手に討ち取られたといわれており,市内には尊氏をまつったほこらもある。(北方谷之口に「将軍様」がまつられている。)
 また,琉球王朝時代には薩摩の島津にかくまわれていた人物(名前を忘れた)が幕府の命により追放され,野邊を頼って串間に入ったところで殺されている。
 さらに,串間の北方神社にはあの天照大神のゆかりの人物がまつられている。
 玉とこれらを結びつけるのは乱暴かも知れないが,海が主な交易(戦争)手段であった時代に,九州北部より,南九州がその大きな拠点となっていたのではないか。
 今朝,「玉」が頭を駆け巡り調べているうちにこのサイトに来ましたが,なんと昨夜の書き込みではありませんか?
 これも何かの縁,ロマンの始まりでしょうか?
Commented by 雅人 at 2009-12-14 12:04 x
 記事の訂正
 足利尊氏は室町幕府6代将軍足利義教と将軍継嗣をめぐって争い、敗れて都を追われた異母弟足利義昭の誤りでした。
 また,「琉球王朝時代には薩摩の島津にかくまわれていた人物」は,この足利義昭でした。那覇勤務時代に聞いた,「島津の琉球征伐の発端について」の話を間違えて聞いていました。
 (全段の2つの話は,同じでした)
Commented by hayenokaze at 2009-12-14 19:36
雅人さん、本当にロマンを感じますね。
北方地区の「将軍様」の事を書かれていましたが、本城地区にも「将軍様」があります。
で、そこを管理しているのは、私の実家(=私)なんですが、この話は後日、ブログの中でしたいと思います。
by hayenokaze | 2009-12-13 22:23 | 調べる | Comments(5)